数字が圧倒的に少ない言語などがある!?

今回は、言語の「数」の表現の仕方について話していきたいと思います。何か物を買うときや単純に物の数を数えるときなど、数字というのは日本人からして生きていくうえで必要不可欠なことで、また当たり前のように使っています。日本語には零(0)から無量大数(1068)まであり、1と0の間には涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)(10-24)まであります。もちろん「兆」(1012)や「絲」(10-4)くらいまでしか使われることはないでしょうが言葉として日本語はこれまでの大きさと小ささを表すことができます。面白いことに、ラテン語には「千」までの言葉しかなく、のちにそれよりも大きい言葉ができました。「千」以上を表す言葉がなくても日常的にあまり困る気がしませんが、「多い」か「少ない」という言葉しかない言語があるのはご存知でしょうか?

ピラーハ(Pirahã)語はブラジルのアマゾンに住む「ピラーハ」いう人々に話されている言葉で200から300人の人がこの言語を話します。この言語には「多い」という言葉と「少ない」という言葉しかなく、1,2,3,4…などの言葉がないうえにピラーハの人々にとって数字を数えること自体が日常的に起こることがありません。ピラーハ人々はたたかれた数と同じ回数ドアをたたくという簡単に見えることも数えることができないために出来ないのです。研究者が数字を数えれるように8ヶ月間教えようとしましたが誰も10まで数えることや1+1もできないという結果に至り、数字を学ぶことは不可能と結論結論付けられました。研究者は彼らが文化として数を必要としないためにこれが起こると考え、知能的に彼らが劣っているとは考えていないらしいです。